大根島と高麗人参の歴史
島根県八束町にある中海に浮かんだ島、大根島。
高麗人参は、この大根島が日本の主な名産地として知られています。
高麗人参は、いつごろ大根島にやってきたのか?
大根島と高麗人参の歴史を、ご説明していきます。
●高麗人参と大根島の関わりが始まったのは江戸時代
そもそも、中国や韓国でしか生産していなかった高麗人参は、一体いつごろから日本に生息するようになったのか?
事の発端は、江戸時代にまで遡ります。
漢方薬や健康薬として、中国などの他国で愛用されていた高麗人参の噂を聞きつけた日本は…
1685年、本格的に高麗人参の輸入を開始。
幕府が江戸に朝鮮人参座を開き、現地の方と高値で取引が行われるようになりました。
その健康効果から噂はさらに広がり続け…
遂には松江藩でも、朝鮮人参を販売する座が出始め、更には製造に踏み出すことになったのです。
その取り組みに熱心にかかわっていたのが、松江市や日光などの土地。
それぞれより良い質の高麗人参を生産しようと、躍起になって取り組みをしていました。
●大根島に伝わってきたのは幕末になってから
そんな高麗人参の生産が大根島(八束町)で行われるようになったのは、実は幕末になってから。
八束町でも気温や湿度は、高麗人参を生産するためには非常に好条件であることが判明し…
徐々に生産量がアップした結果、生産量がナンバー1と輝くようになりました。
現在もその気候は高麗人参に適している為、主産地として知られているのですが…
高麗人参自体は非常に貴重なもので、むやみに外に出されない様に徹底管理されていました。
実は元々、大根島の命名は高麗人参を生産していることを隠すために呼ばれ始めた名前なのだそう。
(人参島ではなく、大根島と呼んでいた)
それだけ貴重な食材であったという事ですが…
現在でもその呼び名が定着しているというのは、なんだか歴史を感じますね。
長い付き合いがある高麗人参と大根島。
今後も、高品質な商品が生産されることを願っています。